優秀であるとはなんぞや?
「彼女は優秀で、T大を主席で合格した」
「それはそれは、大変優秀なご子息でいらっしゃる」
「あの部長は、優秀だからすぐ昇進するだろう」
などなど、「優秀」という言葉を使う場面は度々あります。
では、優秀である、とはなんぞや?
この問いを考える前に気になるのは、そもそも、優秀である、という言葉はどういうときに用いるのか?ということです。
他人に用いる場合で、心からの賞賛でしょうか、皮肉でしょうか、世辞でしょうか。
自身の評価に用いる場合で、宣言でしょうか、防衛でしょうか、配慮でしょうか。
様々な場合があると考えられますが、取り敢えず、ここでは、ある他人の価値観をある程度理解し、その者に対して、心からの賞賛の言葉として用いる場合を検討しようと思います。
結論から言えば、優秀であるとは、他人に求められたことに答えることである、と私は考えます。
そしてそれは、優秀と言われる人が無意図ではなく、意図して行ったことを前提としている、とも思います。
先の例であれば、
発話者は、T大を主席で合格したような人間は、自分の属する社会を自分が望む方向へ導いてくれそうであると思っており、彼女がそれを望んでいることを知っているので、彼女を優秀であると評したのではないでしょうか。
同様に、発話者は、優秀なご子息が、目の前の親御さんの望みを叶えており、また本人もそれを望んでいると知っているため、
昇進しそうな部長は、自分の望むように会社に貢献しており、本人もその貢献に誇りを持っていると言っていたことを知っているため、優秀であると評したのではないでしょうか。
すなわち、言い換えれば、優秀ですね、という賞賛は、単に相手の欲求に関する賛同を意味しているといえると思います。
このように、賞賛の言葉が、自分と相手の共通の欲求観(?)の上に成り立つのものだとすると、相手が、何に対して優秀ですね、と言うかで、相手の望みがわかるというわけです。
ここ迄読んで頂きありがとうございました。
今日も良い一日をお過ごしください。