分析と持論を書いていく処

分析・仮説・持論を滔々と述べています|異論は認めます│こんな世界の見方もあるのだなという気付きを得て、楽しんでいただいたり、問題解決に役立てていただければと存じます

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

不治の病である性格

これは日本社会に限る話かもしれませんが、個性が大事などと叫ばれながら、実は社会において生き残る為に必要な特性はかなり限られているように思います。それ故、その特性をまずは突き止め、これを身につけることが先決で、個としての確立は二の次なのでは…

自身のマネジメントについて

孫子の論法にもありますが、厳しすぎると人は逃げるか萎え、緩すぎると怠ける、というのはその通りであるように思います。他人に対してもそうですが、自分に対してもそうではないでしょうか。例えば、厳しすぎると、目標から目を背け酒や食べ物や女/男に逃げ…

今は次の瞬間の死に耐えうる生か

死とは突然であり、人は簡単に死に、今は永遠には続かないように思います。故に、わたしは、“生きるという計画の内に死を想定しているか”“今は、次の瞬間の死に耐えうる生か”と自身に問います。また、“死後、わたしが存在しない世界を見据えているか”“そこに…

竹内結子さんの訃報によるウェルテル効果への注意喚起

竹内結子さんの訃報について、ご冥福をお祈り申し上げますと共に、ウェルテル効果(マスメディアの自殺報道に影響されて自殺が増える事象※)への注意喚起を致します。※「ウェルテル効果」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.m.wikipedia…

消費とは投資である

消費とは投資であるように思います。株式市場に参加していなくとも、何かを買う時点で、資本主義社会に参加することになり、どうしても投資的な視点が必要になるのではないでしょうか。

世の中には想像もしたことのない人や現象が存在するという衝撃

これは一個人が経験した感覚に過ぎないのですが、これ迄、全く認識も想像すらもしたことの無い世界に触れた時、“世の中には想像も出来ないような人や現象が存在する”と思って衝撃を受けてきました。そう思うと怖れと高揚を感じます。だから、世界を決めつけ…

積み上げてきたものを失う時

何十年とかけて積み上げてきたものを全て失うのは時に一瞬であるように思います。それらに愛着を持ち頑張って来た場合ほど、ショックを受け悲しい気持ちになるかもしれません。一方で、得られるものもあるように思います。一つ目は、初心にかえることが出来…

行き詰まり絶望した時どうすれば良いのか

行き詰まり絶望する人は、視野が狭いように思います。具体的に言えば、今しか見ていない、過去しか見ていない、未来しか見ていない、自分しか見ていない、他人しかみていない、身の回りしか見ていない、身の回りを見ていない、自分や他人の一面しか見ていな…

頭の良さと人付き合い

個人的に、頭が良く回るようになり、論理的・合理的になり、感情的でなくなるほど、人は周りから去っていき寄り付かなくなっていくように思います。 (テクニカルに人を集めることは可能かもしれません)自身が根拠なく信じることが無い為予測がつかないから…

疑い拒絶する人/信じ受容する人

自分以外の全ての人間を拒絶し疑い許さない人と、自分以外の全ての人間を受け入れ信じ許す人のみが、真に平和を望む人ではないでしょうか。個人的に、その点でこの二者は、根本的には同じ価値観であると予想します。話は変わり、人を疑う人と人を信じる人が…

子にとって、母は信条で、父は規範か

子にとって、母は信条の象徴で、父は規範の象徴ではないでしょうか。(現代はこれが逆転する場合も多いように思います)もしそうだとすれば、“精神的に自立しており父を信じる母”という像と、“精神的に自立しており母を愛する父”という像の双方が、子の精神内…

自分以外の者・物から自由になるには何を優先させれば良いか

自分以外の者・物から自由になるには、柔軟性が大事であるように思います。例えば、攻撃や復讐や防衛や論理や否定や依存や平和に“固執する”から、相手を喜ばせることができず、使われるのではないでしょうか。また、安全に生き残ること“だけ”考えるから使わ…

ストーリーの力

ストーリーは幻想であるように思います。 全く客観的でなく事実ではなく偏見そのものであるようにも思います。しかし、この幻想の力は良くも悪くもかなり強いのではないでしょうか。正常な判断を狂わせ、恐怖を感じなくし、何度でもトラウマを癒し回復させる…

狂気とは自由である

誰もが邪魔し得ない自分の狂気に浸ることが、精神的な自由であるように思います。そうであるならば、周りから見てある人が狂っているように見える、というのは、その人が客観的な価値観を共有していない、とことん主観的であるということではないでしょうか…

何にも囚われたくないのなら

あるものに囚われたくないのなら、それを拒絶するのではなく、受容し求めて行動すればいいように思います。お金、他人、地位、賞賛、健康、然り。すぐに欲は満たされて要らなくなるのではないでしょうか。それでも解放されないのならば、あなた自身が囚われ…

経済学・倫理学・科学・哲学が扱う対象

経済学は欲求の学問、倫理学は感情の学問、科学は理性の学問、哲学はその全てを扱う論理の学問だと感じます。

普通“にみえる”人/優秀“にみえる”人

個人的な話にはなりますが、所謂、普通にみえる人や優秀にみえる人、つまり、何か外的な基準に自分の思考・感情・欲求を合わせる人、自分の特性を理解しない人が、他者に対して最も残酷で危険で害悪であることをなし得るという思い込みがあります。そして、…

支配欲は被支配欲であり宗教的である

支配欲は被支配欲でもあるように思います。つまり、誰か・何かを支配したい人は、その誰か・何かに支配されたいと望んでいるのではないでしょうか。例えば、他に対する自身の優位性を示したい、認められたい、自身の価値観を変えたくない、といった自身の内…

決断とは何をすることか

決断とは可能性を自らの手で狭めることではないでしょうか。決断というプロセスにおける感情を追うならば、あらゆる可能性を見て希望・絶望を持ち、ある可能性を選んで覚悟を決めるというものです。

自立と道徳の関係

怒りとは、多くが、恐怖による自己防衛、嫉妬による自己拡大を望んでいるということを、自分で認識することをしない為に起こる感情であるように思います。故に、怒りと欲を肯定し、自立して生きるということは、俗にいう道徳的には「悪」とされることを許容…

怒りと欲がもたらす自立

欲・怒りの肯定と他者からの精神的な自立は密接に関係しているように思います。例えば、親離れ・子離れといった他者からの自己の確立を目指す人は、まず自身の欲(生理的な欲、物欲、承認欲、安全欲、愛情欲等)、怒りを肯定すればこれが可能になるのではな…

倫理・科学・哲学・宗教

倫理的であるとは、普遍的な幸福を求め続けて生きることであるように思います。科学的であるとは、普遍的であるものを信じることであるように思います。哲学的であるとは、普遍的であるものを求め続けることであるように思います。因みに、宗教的であるとは…

天才に憧れる危険性

天才には狂気があるように思います。 個人的な“天才”の定義としては、「自分の命をある能力にだけ賭ける人」というものなので、その点で正気ではない、というように思っています。恐らく、彼らを見て、自分は有能だと言い聞かせてきた努力家は、自分が、中途…