分析と持論を書いていく処

分析・仮説・持論を滔々と述べています|異論は認めます│こんな世界の見方もあるのだなという気付きを得て、楽しんでいただいたり、問題解決に役立てていただければと存じます

「世の中は金・地位・力じゃない」という主張は、依存的で空想に逃避する怠惰なロマンチストの建前に近いきれいごとであり、「慈善は偽善で世の中は弱肉強食」という主張は、寄生的で搾取的で万能感に逃避するナルシシズムの誇大妄想である気がします。

実際は互いの思想(主張)が相互に支え合い(補い合い)牽制し合う(対立する)ことで互いを存続させており、他方を失うと他方は瓦解するのではないでしょうか。

お読みいただきありがとうございました。
今日も良い一日をお過ごしください。

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「他者とは自分の鏡に過ぎない」という見方があります。

つまり、鬼は人のうちにも鬼を見るだけであり、凶悪な者に怯える者は自身の内にある凶悪性に怯えているのであり、悪を憎み嫌い悪と闘う者は自身のなかに悪を見て闘っている、という見方のことです。

確かに、警官が犯罪者に、精神科医精神病者に、探偵が犯人に、王が奴隷になるのはよくあるストーリーである気もします。

つまり、相対する両者は、実は同じ価値観を共有しており、それを肯定するか否定するかの違いでどちらになるのかが決まるのではないでしょうか。

意識・関心を向けたものが、その人の世界観を形作り、その後の選択が、その人の根底にある信条となっていくのではないか、という話でした。

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才能とは、それによって苦しみ、それによって足元をすくわれ、それによって生かされ、それによって喜び、それによって死ぬものであるのではないでしょうか。

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有能になりたいと望む人がいますが、俗にいう無能であっても、それを憂う必要はないのかもしれません。

自分の身の丈にあった生き方をしないと、人は破滅する場合が多いように思うからです。

さらに、有能な者は無能な者の見えない絶望や悲しみや喜びや自由を見ているから、どちらの生き方も平等に辛くまた幸せであるとも思います。

結局はトレードオフであり、そうなるとここで問題であるのは、無能であることではなく、隣の芝を青く見るという選択をするのか否か、ということであるのかもしれません。

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視点が低いと思いつく問題解決案がちんけなものになりがちかもしれません。

多くの人がやっていることは、真似されて真似されて真似されて、擦り切れているように思うためです。再現性が高いアイデアとはそういうものなのではないでしょうか。 

また、こういうことは、自分と他人とのどうにも変えがたい違いを認めこれに価値を認めないとわからない気もします。

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本質主義の立場に立つと、お金を得て欲望を満たすことは、常に次善の策であると感じます。

つまり、人生における最善の解ではないということです。

ゆえに、お金にしがみつけば、最悪は回避できますが、人生の本質を見失うように思います。

人生の本質とは、「自分がなんの為に生きるのか」「自分はなんの為なら死んでいいのか」「自分は自分の命を何に使うのか」という問いへの答えのことです。

こちらの立場をとる場合は、思考を狭く深く掘り下げる傾向があると感じます。

対して、「そんなものに答えはない」とする実存主義のような立場もあります。

こちらの立場をとる場合は、思考を広く浅く広げていく傾向があると感じます。

お読みいただきありがとうございました。
今日も良い一日をお過ごしください。

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