分析と持論を書いていく処

分析・仮説・持論を滔々と述べています|異論は認めます│こんな世界の見方もあるのだなという気付きを得て、楽しんでいただいたり、問題解決に役立てていただければと存じます

これは一般的な見方ではないかもしれませんが、DVやパワハラなどのハラスメントを見聞して思うことは次のようなことです。

つまり、支配をするなら、私怨や私欲に従っては、支配される者はついてこないし、その者を上手く使うこともできないのではないか、ということです。

言い換えれば、普遍的な規律のもと、自分の責任でその者と自分自身を支配したり、支配する者を守る為に外敵と闘ったり、相手が支配することもされることも好まない(主従関係を拒絶する)自由な価値観を持っているならばそれを尊重してその者から離れたりwinwinな関係になるよう努力したりしなければ、自身の望む主従関係は崩壊するのではないか、ということです。

というのも、支配というのは、普遍的な規律・責任・戦闘能力・技術等とのトレードオフであるように思うためです。

つまり、独裁を行うのならリスクを負う必要があるのではないでしょうか。支配者も被支配者も役割分担に過ぎず、どちらにもメリット/デメリットはある、という状況が関係維持の為には必要であるように思います。

それは、例えば、社長であっても、株主であってもそうであるのではないでしょうか。

古い表現ですが、亭主関白/かかあ天下を実現するならば、自分が大黒柱になるわけですから、自分という柱が折れたら家という安全空間が崩れる、という重圧と常に隣り合わせで生きていく決意が必要であるように思います。ですが、これは老いて体力や判断能力が失われていくと続けるのは難しいですから、継続という面で見ると現実的でない気もします。それ故、個人的に、亭主関白/かかあ天下を死ぬまで貫ける人は稀であるように思います。

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詰まるところ、他人に対する支配とは、他人との関係における相対的な立場に過ぎない為、その他人やその他人との関係を失えば成立しない、依存的な面があるように思います。故に、ハラスメントのように、支配する為にその関係維持に固執するのは、その関係に依存して中毒を起こしている状態であり、寧ろ支配されている状態ではないでしょうか。

もし自身の力を感じたいのならば、他人をそれに利用するのではなく、自分を利用する、つまり、自分を支配すること(マネジメント)を習慣化すれば、他者を必要としない分、最も手軽で効率的であるように思います。