個性的であり続けることのハードル
人並みより多くの、情熱(感情)、理性、欲、技能があれば社会的にはみ出る、即ち、落ちこぼれる、或いは、突き抜けるように思います。
つまり、個性を持つとは、ある面で、誰もができることが出来ない落ちこぼれとなり、ある面で、誰も追いつけない高みに登りつめるということであるように思います。
しかし、このように種々の能力差が激しい場合、例えばWAISの知能検査では、個性ではなく“障害”とみなされるようです。
ところで、個性と障害の境目は、障害がディスオーダーと呼ばれることから考えると、それを意識的にコントロールできるか否かではないでしょうか。
ですが、周りの人や客観的指標によってそのことを確かめるのは難しいように思います。例えば、コントロール出来ないように見えても、本人が演じている可能性があったり、個性的であろうとして定着した場合もある為です。
また、能力に振り回され依存的になるか、能力を使いこなして自立的であるかは、能力が大きくなればなるほど、紙一重となるように思います。
そうであるとすると、自身の個性が障害とみなされることによるデメリットを意に介さない人のみが個性的であり続けられるのかもしれません。