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市場を生きるとは、次のようなことをすることであるように思います。
即ち、わたしは、わたしの身体・精神・情報を目的達成のための手段として利用する、ということです。
更に、他人のそれらをも利用するようになるかもしれません。
そのようにして、全てが欲に結び付けられたモノ化すると、悲しさを感じるようになるかもしれません。またそれは、そうしなければ生きられない不条理への悲しみであるのかもしれません。そしてこれは、怒りとなりうるようにも思います。
賢く(損得を考えられるように)なればなるほど、楽観を持つよう心掛け、その悲しみを捨てて忘れるよう心掛けるのかもしれません。生きる為に必要のない感情である為です。