分析と持論を書いていく処

分析・仮説・持論を滔々と述べています|異論は認めます│こんな世界の見方もあるのだなという気付きを得て、楽しんでいただいたり、問題解決に役立てていただければと存じます

広く与えるか狭く与えるか

行為の目的について、共同体の規律の維持が目的である人(1)と、自身の規律の維持が目的である人(2)がいるように感じます。

(1)共同体の規律に対して愛や信用があると、これに従うことを他人に与えるようになるように思います。

彼らは、無意識に規律に従っているため、規律を疑い、問うことは、意識的に行うに留まり、規律を維持することを、大勢のためにしていると感じます。

彼らは、鳥の目によって(マクロ的な視点で)、社会全体を俯瞰し、緩く広い規律で大勢を縛り、彼らを守り導こうとしているように思います。

なるべく多くの人々の価値観、意見を聞き、自己を希薄に喪失していき、大勢の人に広く浅く少しずつ、すべての人の価値観に沿うものを与えようとし続けるように思います。

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(2)一方、共同体の規律に対して無関心であったり不信があると、規律に従うことを望まず、自身の規律に従うことを他人に与えるようになると思います。

彼らにとって、外在する規律を疑い、問うことは、無意識的に行うことであり、これらを意に介さず、自身の規律を維持しようとすることを、彼らは大勢のためにしていると感じます。

彼らは、虫の目によって(ミクロ的な視点で)、自分自身の内奥を見つめ、きつく狭い規律で自身を縛り、大勢を守り導こうとしているように思います。

なるべく多くの人々の価値観、意見を聞かないようにし、自己を濃密に確立していき、自身の価値観に沿うものを、少数の人に狭く深く、自身のできる限りで、与えようとし続けるように思います。

※達成可能性の視点からみれば、前者は自身に甘く、後者は自身に厳しいといえるのではないでしょうか。

ここ迄読んでいただきありがとうございました。
今日も良い一日をお過ごしください。