分析と持論を書いていく処

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東京都心部あたりの良さ1

東京の都心部あたりで生まれ、20年間と少しを過ごした私が、都外へ越してきて東京の良さ(利点)を感じることが時折あったため、それをここに書き出してみようと思います。

まず、東京都心部あたりの良さを、1.多数を占める人々が共有すると思われる価値観の良さと、2.街の施設・交通などの良さ、との二つに分けます。

1.そして、第一に、前者の東京の多数を占める人々が共有すると思われる価値観の良さを挙げていこうと思います。

a. 一つ目は、「他は他、内は内」「人は人、私は私」といった個人主義と非干渉であるように思います。

それは、個人単位でも共同体単位でもそうなのではないでしょうか。

国内で比較すれば、自由で、人も共同体(街・企業・その他の集団)も個性的で、同調圧力はさほどないように感じます。

そのため、この自由さを良さとして挙げます。

半面、自身の意志を失うとすぐに人に流され、路頭に迷うというプレッシャーもあるように思います。

外出すればほぼ必ず人に会い、大勢の人の服装・言動や広告から、いつでもどこでも意図せずして、価値観の影響(干渉)を受け続けると感じます。

東京に住む人が疲れていたら、それらの過干渉によってもたらされる情報過多による疲れと一括りにしてもよいくらいに思います。

そのため、互いに非干渉になり、個人主義的になるのではないでしょうか。

また、東京に長く住んでいると、日常的にこのような大勢の流れに逆らうのはとてもエネルギーが要るので、多くの人は、無難で地味な服装や言動や行動になるようにも感じます。

ですが一方で、大勢の中で自身が自身であることを確かめるために(アイデンティティを喪失しないために)人によっては、独自の世界観を持ちその中に籠ったり、飛び抜けた業績を目指すようになったり(東大に入ったり、業界のトップを目指したり、前衛的な服にはまったり、ある一分野のオタクになったり等)するように思います。

そのため、互いに非干渉になり、個人主義的になるとも言える気がします。

対して、このように非干渉・個人主義的であると、上辺だけの人付き合いになりやすく、自身の問題は自身で解決しなければならない、人の力は借りてはならない、という風に、過度に自立を強制するようなプレッシャーを感じ続けるように思います。

大阪・滋賀・広島出身の知人らが、口を揃えて「東京の人は冷たい・怖い」と言っているのを聞いたことがありますが、他人に頼りがたい雰囲気や、それによって感じる孤立感によって、そう思うのではないでしょうか。

b. 二つ目は、TPOをわきまえるべきという考えであるように思います。

多くの人は、一切のほころびもないような作法や規律を自然に身に着けており、これを美としているように思います。

人混みでの人の避け方、人付き合いでの作法、飲み会の開催とその仕切り方、スーツや服装の着こなし方、などを駆使することは、最低限の礼儀とされているようにも感じます。

自慢や下品さや見栄などを嫌い、身分相応で謙虚であることを良しとする風潮があるのではないでしょうか。
(東側や下町はあまり肩肘張らなくても良い雰囲気なので異なるかもしれません)

服装も、高額で希少性は高いが地味であるものやコンサバティブなものを好み、一目見てわかるブランドものといった、人目を引く目的のものを避けるように思います。

特に、接客・受け答えや服装・見た目は、個性を出しつつも、気分を害さないようよく訓練されているような印象を受けます。

そのため、このTPOをわきまえる言動を良さとして挙げます。

真面目で、形式美を追求するといえるのではないでしょうか。

一方で、これらを「機械のようで気味が悪い・怖い」と評する意見も耳にしたことがあります。

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c. 三つ目は、情に熱くあるべきという考えであるように思います。

上辺の付き合い(利害関係による付き合い)がとても洗練されている彼らは、上辺だけでない付き合い(利害関係を度外視した付き合い)を大事にする傾向にあるように思います。

(究極的に見れば、関係に利害は必ず絡んでくるという見方もあるかもしれません)

そのため、情にあつい人と関わる確率が高い、ということを良さとして挙げます。

一日に何人もの人々と上辺だけの理性的でドライな付き合いをしていると、感情的でウェットな付き合いをしたいと感じるためではないでしょうか。

感動できる(感情が動く)映画や話を好んだりするように思います。

また、感覚・感情を大切にすることにより、クリエイティブであったりするのではないでしょうか。

半面、情緒不安定であって長く付き合うことが困難であることもあるかもしれません。

d. 四つ目は、仕事とプライベートを分ける、という考えであるように思います。

仕事に私事を持ち込むことをよしとしない傾向があるように思います。

そのため、仕事における供給物の質に信頼が置ける、仕事に熱意を持った人と関わる確率が高い、ということを良さとして挙げます。

また、仕事や経歴などにプライドを持って誇りにしている人が多いように思います。(出身校、企業名など)

そのような人の場合、仕事では優秀な成績を収めているのにも関わらず、プライベートで依存症の問題を抱えやすいのではないでしょうか。

仕事が命であるような彼らは、日々甘え甘えられることを禁じているため、癒やしを求めて行動しがちかもしれません。

先の形式美を好む話にも繋がるかもしれませんが、形式や外面ばかりにとらわれ、実質や内面が疎かになるという問題を抱えやすいかもしれません。

e. 五つ目は、謙虚であるのが自然、という考えであるように思います。

そのため、高慢でない印象を与える人と関わる確率が高いということを、良さとして挙げます。

半面、謙虚にならざるを得ない、ともいえるかもしれませんし、謙虚が行き過ぎて卑屈に感じる人もいるかもしれません。

これは、人口が多いので、井の中から出て、大海を知る機会が多いためであるように思います。
(自身の住んでいる区から出たことがほとんどない、というような人は異なるかもしれません)

つまり、自身の自信のあることに関しても、更に上をいく人に会う確率が高いといえるのではないでひょうか。

そのため、自信を失いやすく、相対的・客観的でシビアな評価を自身へ下しがちな人が多いかもしれません。

f. 六つ目は、寛容であるのが自然、という考えです。

eと関係して、極端な人々を幼い頃から日々目にするために、人間関係に関して経験が豊富で、器が大きい、つまり寛容な傾向にあるように思います。

そのため、寛容である印象を与える人と関わる確率が高い、ということを良さとして挙げます。

例えば、どんなに前衛的なファッションで歩いていても、どんなに尖ったことを言っていても、どんなに貧乏であっても、どんなに狂人であっても、排他しようと行動することはないように思います。

半面、価値観の異なる人が常に周囲に居るため、安全のための自衛や、自身の価値観の維持に気を使わなければならないかもしれません。

※但し、以上は、個人の生育環境等も影響するように感じるので、共通点として挙げるものではないかもしれません。
(例えば、生まれてから閉塞的な世界で生きてきた人は異なるように思います)

後日の記事(https://give-info.hatenablog.com/entry/2020/02/01/235607)へ続きます。

ここ迄読んでいただきありがとうございます。
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