分析と持論を書いていく処

分析・仮説・持論を滔々と述べています|異論は認めます│こんな世界の見方もあるのだなという気付きを得て、楽しんでいただいたり、問題解決に役立てていただければと存じます

執着しない人とは?

A. 執着しない人には、次のような特徴があると予測します。

1. 例えば、次の瞬間に死ぬかもしれない、ということを受け入れており、それゆえ、今を生きるしかないと思っているのではないでしょうか。

つまり、それほど生に執着していないように思います。

彼らは、今現在ここにある感覚しか信じていないようにも思います。

2. また、それほど情にあつくなく、ゆえに恩義に報いることもしないように思います。

あまり人生を重要視していないようにも思います。その意味で、存在感が希薄であるようにも感じます。

3. 拷問、恥辱、支配、搾取、病気、死といったことにあまり恐怖を感じていないように見えます。

正確には、感じていても、その恐怖をそこまで重要視していないように思います。

それらは過ぎ去って忘れることになれば、ただの事象に過ぎない、と思っているのではないでしょうか。

また、怖れることに意味を見い出すか否か、という考え方をするように思えます。つまり、怯え、守り、生き延びる、ということに何の目的があるのか、と問うように思います。

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B.   彼らにとって、執着する者は、次のように見えるのではないでしょうか。

1. 例えば、何が大切か・何が一番かを、決めることができていないように見えるかもしれません。

そして、その理由は、執着することが目的であり、対象は何でも良いためではないか、と思うかもしれません。

2. また、執着することに熱中し、対象をよく観察できていないように見えるかもしれません。

3. 動物的であるようにも見えるかもしれません。

例えば、サバンナでの獣のように自身の身を守り、食べていくだけで精一杯であることが人間の本質である、といった考えをもっているように見えるのではないでしょうか。

それゆえ、獣性に寛大で、思考を頭打ちしているようにみえるかもしれません。

C. 1.これに関連して、彼らは、思考は短期的には力が無く、長期的には力が有る、と思っているのではないでしょうか。

2.また、自由を好むようにも思います。

3. 疑うことをしないこと、「もし」を考えないことも嫌うように思います。

それゆえ、想像と創造をしないで、既に在るものに飛びつくことも、好まないように感じます。

ここ迄読んでいただきありがとうございます。今日も良い一日をお過ごしください。