分析と持論を書いていく処

分析・仮説・持論を滔々と述べています|異論は認めます│こんな世界の見方もあるのだなという気付きを得て、楽しんでいただいたり、問題解決に役立てていただければと存じます

言語化するとはどういうことか?

A. 考え/思いを言語化する、ということは、頭の中にあるもやもやとしたもの(例えば、表象)に形を与える、ということであると感じます。

そして、頭の中にあるものに形を与える、とは、即ち、必要な部分とした所を拾って要らない部分とした所を捨てるということ、即ち決断するということであると感じます。

B. 例えば、感情を処理しきれなくなり感情的になった時に、感じていることを紙に書き出しこれを眺めることで落ち着くことができるという手法があります。(エクスプレッシブ・ライティングという手法)

感情的であるということは、ただ心の中にあるもやもやとした感情を感じている状態であるように思います。

そして、そこに言葉によって形を与えることは、感情のどの部分を捨てて感情のどの部分を拾うかということを決断している、或いは、その決断を行うことを決断している、といえるのではないでしょうか。

そのような決断は、感じる感情の量を減らし、その結果落ち着くのではないか、と予想します。

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C. 派生して、決断も、思考も、文化も、感情の連続的な断ち切り、切り捨て、抑圧(※怒り)、であるように思います。

※心理学で、怒りは、二次的感情、即ち、一次的感情の蓋と言われる考えがあるため

D. ところで、絵→詩→文語→論文→記号(音、数字等)の順に、切り捨てるものが多くなり、大雑把な把握になっていくのではないでしょうか。

大雑把な把握は、感情の抑圧が多く、楽天的であることや、行動的であることに繋がるようにも思います。

E. まとめれば、言語化するとは、決断するということであり、決断するとは、感情を抑圧する(怒る)ということであり、感情を抑圧するとは、思考的・文化的であるということであり、思考的・文化的であるとは、楽天的・行動的であるということではないか、という仮説です。

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