生きる上で変化を感じるにはどうあれば良いか?
1. 物事が見え過ぎているにも関わらず、生きる上での変化を求めると、辛くなるように感じます。
というのも、物事が見え過ぎていると、怖れがわき、行動が出来なくなるためです。
この場合、勇気が必要になってくるように思います。
2.行動するためには、主観的に、感情的になることが役立つように思います。
痛みやリスクに鈍感になり、自己中心的になるイメージがあります。
動機は、「達成する」「行動する」という決意への意欲のみではないでしょうか。
客観視を捨て、自身の世界へ籠もる、といえるかもしれません。
強引さ、気合い、根性、という特性を伴うようにも思います。
つまり、ストレスという絶壁に立ち向かっていって、この苦しみを楽しむ感じがあるかもしれません。
これを超えたらどんな世界と体験が待っているのかワクワクする感覚がある気もします。
今より悪くなったとしても、現状維持よりはましである、という考えを持つかもしれません。
自身に死なない程度に痛みやストレスを与え、これを楽しむ点で、サディスティック/マゾヒスティックな考えといえるような気がします。
ただし、その痛みの先にある目的に目が向いており、同時にその目的までの苦しい過程も楽しんでいるという点では、根底からサディスティック/マゾヒスティックな考えではないのかもしれません。
他にも、効率を求める、即断即決、自由で積極的な快楽主義、状況主義、短期投資、といったイメージがあります。
3.とはいえ、物事が何も見えていない状態で行動し続けると、ずっと同じ問題でつまづき続けているように感じて、生きる上での変化も感じられないかもしれません。
4.思考するためには、客観的に、合理的になることが役立つように思います。
痛みやリスクに敏感になり、周りの世界へ目が向くイメージがあります。
動機は、「知りたい」という好奇心のみではないでしょうか。
リスクヘッジと賭けをゲームとして楽しむ感覚があるかもしれません。
行動が苦手になり、難問において条件を満たす解を求めること、即ち、戦略を立てることを楽しむようになるかもしれません。
何かを行い、成功したとしても失敗したとしても、全てを自分の思い通りにするための新たな方法を発見したい、という考えを持つように思います。
そのような意味で、支配欲や執着心が強いといえるかもしれません。
目的達成を最重要視するため、過程を楽しむことはなく、忍耐、節制が基本になるのではないでしょうか。
(制御していることに気が付かなくなるほどに)理性によって、感情や行動を極限まで制御しようとする傾向があるように思います。
基本的に疑り深く、時には徹底的に疑い、慎重であるように思います。
本人は自由を目指していたとしても、常に自身で立法した規律に縛られ、傍から見れば不自由であるように見えるのではないでしょうか。
その点で、信念が一貫してある、と言い換えることができるかもしれません。
中・長期投資、というイメージがあります。
ここ迄読んでいただきありがとうございます。今日も良い一日をお過ごしください。