狂気とは自由である
誰もが邪魔し得ない自分の狂気に浸ることが、精神的な自由であるように思います。
そうであるならば、周りから見てある人が狂っているように見える、というのは、その人が客観的な価値観を共有していない、とことん主観的であるということではないでしょうか。
街中で叫び喚き散らす人も、宗教にはまる人も、ドラッグ中毒になる人も、認知症になり徘徊する人も、統合失調症になり精神病院に入院する人も、よく観察すると狂人ではない人が多いように思います。
というのも、同じ症状や境遇の者同士で、なにかしら共通点を持っていたりするからです。これでは、外から観察可能な客観的な記号でカテゴライズできてしまうから、狂人ではないと思います。解明されればその狂人はもう狂人ではないように思います。
狂人とは、他者から見て、得体の知れない、予測のつかない、底知れない、未知の者ではないでしょうか。
なぜその行動をするのかがわからない。なぜそれが出来るのかがわからない。出会うと強烈な恐怖と興味を感じる。自分がこれまで得てきた経験・知識が全く役に立たない・適応されない。
独裁的で偏執狂で自己陶酔的(ナルシシズム的)である。自分だけの世界に住んでいて、そこに外界は存在せず他者も居ない。
即ち、既存の、客観的な価値・基準・記号から最も自由な者が狂人ではないでしょうか。
ここで、かの有名なシカゴ大学へ行った数学教授の話を。彼は数学に没頭し過ぎて、全裸で屋外へ出て警察に捕まったそうです。
そう考えると、狂人ばかりの自由な世界では、社会という共同体が成り立たなくなり、小さな集団が点在するような、丁度今の社会のような分断が起こるのかもしれません。しかし、同時に人間としての基準や定義が全ての者に共有されるかもしれません。