認められたい・愛されたいと望む人
他者に認められたい・愛されたいという欲求が強い人が居るように思います。
そして、認められる為には努力が必要であるし、愛されるにもそうであるように思います。
その努力とは即ち、認める努力と愛する努力です。他者を認めなければ認められず、愛さなければ愛されないというだけの気がします。
しかし、何時でも、或いは、何時までもそのような人が用意される訳でもありません。
故に、個人的には次のように思います。
“自分が自分を愛し信じなくて、誰がそうしてくれるのか”
“どんなに馬鹿で愚図で無能な自分でも無条件で受け入れ愛し信じよ”
“結果など出ずとも信じよ。貫け。それで死んでも良い覚悟で生きよ”
実際、自分によって自分のことを信じられていれば、他人は全く必要ないように感じます。それができない、或いは、する気のない人は、上記の努力をすれば良いのではないか、と思います。