欲を抑えてやりたいことを見つけたいと言う矛盾
1. マズローの欲求5段階説に照らし合わせれば、「やりたいことがわからない」と感じる場合、自身の、睡眠欲・性欲・食欲・安全の欲求・所属の欲求・愛情の欲求・承認欲求のどれかやいくつかを認めず、抑制していることが多いように思います。
例えば、セックスは欲にまみれて汚いものだ、動物的で野蛮だ、と思っていたり、母親に愛されたいけれど、母はああいう人だから愛されたいと思ってはいけない、と思っていたり、太るからこれ以上食べてはいけない、と思っていたり、他人に左右されないため承認欲求など感じてはならない、と思っていると、自分のやりたいことがわからなくなる、つまり、自己実現欲求が感じられなくなると予想します。
2. 一方で、欲を認めて抑制しないと、やりたいことは見つかりますが、リターンに目が向くので、人付き合いは、欲を満たすために相手を利用したり、相手に利用されたりするものになっていくのではないでしょうか。
すると逆説的ではありますが、そのような関係性を持ち続けることによって、愛情の欲求が満たされている、と感じなくなり、欲を前提としない、つまり、リターンを求めない関係性を求めるようになると予想します。
ですが、自分が欲を持っている限り、相手が欲を持っていないことを信じることは難しく、それゆえ、もしリターンを求めずに与えてくれる相手との関係性が手に入っても、これを実感することはできないように思います。
3. ここで、「そのような関係性など求めてはならない。贅沢だ。程々で我慢しよう」という風に欲を抑制してしまうと、また、はじめに戻ってしまい、循環してしまいます。
資本主義社会において金銭を稼ぐには、利用したり利用されたりする関係性は避けられないように思います。利用しない/されない関係性すら、その関係性に組み込まれ、商品として取引きされるかもしれません。
そのように考えた結果、欲を抑制し、やりたいことがわからなくなるのは必然であるようにも思います。
やりたいことがわかることと、利用しない/利用されない関係性を失うことは、トレードオフなのでしょうか。
お読みいただきありがとうございます。今日も良い一日をお過ごしください。