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他人に対する恨みは、突き詰めれば、甘え(人の好意をあてにする気持ち)に行き着くように思います。
それは、自分を、わかってもらいたい、知ってもらいたい、配慮してもらいたい、という甘えではないでしょうか。
※甘えという言葉は、一般的にその者を非難する時に用いられることが多いように思いますが、ここでは、辞書にある意味(人の好意をあてにする気持ち)で用いています。
また、“してもらいたい”が“すべきである”になる場合もありますが、この場合、恨みを持つことはないように思います。
人を恨まないようにする人がいます。
上記のようであるならば、そのような人は、他者に甘えないようにするため、欲を捨てない限り、外部の物か自身に甘えるしかなくなり、そうなると、依存症になったり、自責から希死念慮に走りうるように思います。
そして欲を捨てる場合、人を恨んではならない、というルールを厳守しようとすることは、自身の生存の欲を否定することに繋がりかねず、自身の生命に対する危機であるように思います。
よって、人に恨みを持つな、というルールは、人に甘えるな、という意味ではなく、その人に甘えるのではなく他の甘えさせてくれそうな人(その者の好意があてになる人)に甘えるようにしろ、という意味で捉えたほうが、自身の生命について安全ではないでしょうか。
そしてもしそのような捉え方をするならば、人に甘える為には、①自身の甘えを受け入れることのできる人物を見抜く知識の蓄積と、②その甘えを相手に伝える言語や文化等の価値観についての知識の蓄積が必要であるように思います。
①や②を欠けば、自身の甘えは、相手の心身への侵害や、自身の心身への危機に繋がりうるのかもしれません。