■
人へ何かを与えた後に、“裏切られた”“したでに出たら調子に乗られた”“感謝も何もされない”と思い怒りを感じるならば、それは何も与えていなかったといえるのではないでしょうか。
自己を我慢し抑圧することによる脅迫・復讐を目的とした贈与であったのではないでしょうか。
その時点では確かに与えていたとしても、怒りを感じそれに自己防衛の意味付けをした時点で、その過去をそう解釈すると決めたのではないでしょうか。
ゆえに、自身の欲や感情の我慢に気づかないことや、その我慢を大人の徴として称賛する文化は怒りと憎しみを生むように思います。
裏切られたり、利用されたり、調子に乗られたり、感謝されなかったりといったことは、他人と関係を持つにあたって予想出来ることではないでしょうか。
予想できなかったなら、学び次からリスクヘッジすれば良いのではないでしょうか。リスクヘッジをして与えれば良いのではないでしょうか。
(偉そうな物言いかもしれませんが)個人的には、そのような行動が伴わないと、上記のような訴えは、怠惰かチープなポジショントークとしか思えません。(但し、法や憲法に触れる場合はその限りではないです)