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夢を追ってこれを叶えようとしなかったことを中年や老年になって悔いることがあるかもしれません。
しかし、究極的には、夢を追っても追わなくても、平等に苦しく楽しく不幸で幸福でありうるように思います。
というのも、何かを得る・得られないという成果は客観的なものですが、幸福である・不幸であるという感じは主観的なものである為、前者にそのような感情が結びつくことはないように思う為です。
詳しく言えば、過去にどのような決断・行動をしたとしても、現在認識している情報についての主観的解釈が、ただ今の感情(後悔)を生じせているだけではないでしょうか。
ゆえに、後悔の原因は、過去の決断にあるのではなく、現在の認識・判断にあるように思います。
もしそうであるならば、未来に後悔することを恐れて決断・行動することも、過去の決断・行動について後悔することも、合理的ではないのかもしれません。