分析と持論を書いていく処

分析・仮説・持論を滔々と述べています|異論は認めます│こんな世界の見方もあるのだなという気付きを得て、楽しんでいただいたり、問題解決に役立てていただければと存じます

三つの問題解決方法

問題が、自分の思い通りにならないことに苦痛を感じることを意味するならば、問題解決には、以下の三通りの方法があるように感じます。

1. 一つは、周りに利益を与えたり、共感を与えたり、恐怖を与えたりすることによって、彼らを自分の思い通りに動かすことです。

自分の思い通りにならなかったことが、自分の行動や努力により、思い通りになるようになり、自分の思い(信念、価値観、世界観)が維持される、という解決がもたらされる、という流れです。

周りが自分の思い通りになると、自分には何かを制御する力がある、と実感することができる(快をもたらすホルモンが分泌される)ため、苦痛が消えるのではないでしょうか。

レーニングやマネジメント等を好むような、自身のことを制御しようとする人が選択する解決法である印象です。

彼らは、どんな価値観も否定し疑う傾向にあるとも感じます。

2. 二つめは、自分の認識を変えることです。

自分の思い通りにならない、つまり、自分の思いと状況が合致しない、という事実に、苦である、という感情を付け加えているのは自分自身であるため、その事実が苦である、という認識を疑い、これをただの事実として認識し直すか、或いは、快である、と認識し直す、という意味です。

ただの事実として認識し直す、というのは、試行と結果のみ存在すると考える科学的な見方かもしれません。

快であると認識し直す、というのは、例えば、「この辛い状況から何か学んでやろう」と積極性を持った態度で認識し直す、という意味です。つまり、消極的・受容的な態度で、苦痛を損害としてとらえずに、積極的・反抗的な態度で、苦痛を負荷としてとらえ直す、という意味です。

認知行動療法がこれに当たるように思います。

3. 三つめは、自分の思い自体を変えることです。

自分が確信を持っており、絶対にブレないと感じている思い(信念、価値観、世界観)を崩し、新たなものへ変える、という意味です。

このような人は、主張が頻繁に変化して不信を買いやすかったり、クリエイティブなアイデアを生み出すことができる人だとみなされたりするのではないでしょうか。

彼らは、どんな価値観も肯定したり興味を持つ傾向にあるとも感じます。

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cf)3に関連し、教育は洗脳である、宗教は洗脳である、といった主張を見聞したことがあります。

その際、どのような意味で洗脳という語は用いられているのか、と疑問に思いました。

結論としては、脳は繰り返すことを重要だと認識するそうですから、これを意識せずにある価値観を脳に自動化するまで定着させれば、他者や外界からの洗脳、と呼ばれますが、意識して定着させれば、自己洗脳、とは呼ばれず、信念等と呼ばれるように思います。

つまり、強制されない自由を前提に、積極的にある価値観を選び取っていれば、洗脳、と言われることはないのではないでしょうか。

しかし、「強制されない自由」や「積極的に選び取っている感じ」というのは主観的なものだとも思います。

そのため、他者から洗脳であるか否かを評価することは不可能であると感じます。

例えば、本人は何の強制も受けず自由から選択しているつもりでも、周りの人々から見ればその人はイデオロギーに感化されて選択しているように思える場合があるかもしれません。

「洗脳」と評する他者は、その人が間主観的な価値観と異なる価値観を持っている為、その価値観への嫌悪を示して言っていたり、民主主義社会から外れる警鐘として言っていたり、自己不信から被害者意識を持ち復讐心を保持するために言っていたり、という場合が多いのではないか、とも思います。

ここ迄読んでいただきありがとうございます。
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