分析と持論を書いていく処

分析・仮説・持論を滔々と述べています|異論は認めます│こんな世界の見方もあるのだなという気付きを得て、楽しんでいただいたり、問題解決に役立てていただければと存じます

ジャ○アンvs出○杉くん

1. 悲観と疑いと客観と分析に浸り続けると、情熱を失うことがないでしょうか。

すると、人の感情や自分の感情がわからなくなり、
正解を探しこれに従うようになると感じます。

つまり、
皆が信じていること、
権威ある人が言っていること、
科学的論文が示すデータ、
過去の自身の経験、
等を体現するようになるように思います。

すると、なんとなく型にはまった優等生にはなりますが、自分がどこへ向かいたいのかわからなくなるのではないでしょうか。

2. そのような時は、
剛田ジャ○アンに助けてもらうのはどうでしょうか。

具体的には、悔しさと怒りを感じるようにするということです。

「情熱を捨ててたまるか」という風に、情熱を捨てて淡々と生きつつあった自身へ立腹する、ということです。

怒りはやがて情熱になるように思います。

そこで、これを鎮火せず、薪をくべて火をガンガン燃やしていきます。

そして、行動を決めます。

具体的には、情熱を失っている時というのは、行動によって起こりうることを、客観的に(第三者目線で)予測したり、悲観的で疑り深く心配して最悪の事態を想像することをした後かと思うので、これを踏まえて自己対話を深めていきます。

(例えば、味方になったように思わせて貶めようとする人が居たなぁ。彼に会って意志が揺らいだらどうしよう。怖いなぁ、かっこ悪いな、うまくやりたい。でも、それはまだ意志ではないんだろうなぁ。彼に会って狼狽えたら、本当に決意できるかもない。まぁ、揺らがないんだろうなぁ、きっと。というような流れです)

また、これが今の自身のできることの限界である、と自身を卑下し、一切の期待を捨てると、周囲に振り回されないようにも思います。

そして行動は、すべてを諦めた自然体で行います。

情熱の火はキャンプファイアーくらいの大きさから
マッチ棒の火くらいの大きさに調節しておくようなイメージです。

また、行動している時は、この行動や苦しさを超えた先にある光や快を見据えるようなイメージです。

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cf)因みに、情熱を切り離して淡々とただ行うこと、つまり、感情に左右されないで決定事項に従う理性(前頭前野)によって行う方法もあるかと思います。

このような方法ですと、一貫した成果を手に入れられるように思います。

また、こういう特性を活かして行動しようと思えば、自己対話ではなく、感情制御の方法を考えてやってみるのがよいのではないでしょうか。
(人に会って怖くなってしまったらどうしよう→怖くなったら素数を数えよう)

いわゆる頭のいい人の戦略です。

ただ、自分がどこに向かいたいのかわからなくなる、意志薄弱になる、上のいいなりになる、という副産物が付いてくるようにも思います。

3. このように、行動を考えるとき、ジャ○アンと出○杉くんは、絶えず綱引きをしているようにも感じます。

ここ迄読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日をお過ごしください。