都心の人々の価値観/商人の価値観
前日の記事の続きです。
1. ところで、これら都心で感じる価値観として、(1)ゼロサム・ゲームの肯定と(2)力あるものへの依存の肯定があるように思います。
(1)は、富などの幸せになる要素であるパイは限られている、という考えに立つということです。
そして、そのパイを増やそうするのではなく、ある限りのパイを奪うことに全力を出す、という意味です。
「せこいことをせず、堂々と努力した人が多くのパイを貰うのが当然だ」
「得たパイを失うのが怖いし、愛するものを食べさせたい、豪華な暮らしをさせたいからそうしている」
「兎に角、気合と根性で努力をする」
「現実は厳しい。自分のことが出来ていないのに、他人に構うのは偽善だ」
といったような考えを持つかもしれません。
このような考えに立つ場合、ライバルに感情移入してしまうとパイを手に入れることができないため、他人のための共感力(自他の感情に注意を向けること)は邪魔なものとして失われていくように思います。
「他人のための」という形容詞を付けたのは、戦略的なかたは、他人のためではなく、自身の信用値を上げるために、これを積極的に利用する印象があるためです。
この時、その動機は、他人の利のために共感力を使おうという欲求ではなく、信用を失ってしまって自身が孤立し窮地に陥るのは怖いため、周りの人に共感力があることを示しておこう、というような恐怖であるようにも感じます。
(2)は、家庭内で権威を持っていた親や社会的な権威に、或いは、身近であった親や知人・友人に、認められたい、褒められたい、守られたい、と強く思うことです。
その庇護や承認を失うことに怯えている人が多いように感じます。
例えば、ある銀行員の男女が「いや、あの人次回から外されましたよ」「あ、そうなんですか。私も気をつけよう」というような会話をされているのを耳にしたことがあります。
そこには、権威からの言いつけを守ることがお金と生活の豊かさに繋がる、という暗黙のルールがあるように感じます。
(銀行の世界では特に顕著かもしれません)
そのため、感情的になることが、上位に食い込む秘訣であるようにも思います。
さらに極端になれば、権威的、或いは、大衆的な価値観と同一化するかもしれません。
また、個人的には、大多数の人々の価値観から自立している(同調圧力を受けにくい)かたには、(1)感情を素直に話すとこれに共感してくれる友人・知人が居る(2)そのような会話や繋がりを楽しめる、といった特徴があるように感じます。
一方で、権威的な価値観から自立している(ブランドや専門家を信仰しにくい、上司や親の言いなりになりにくい)かたには、(1)意志が強固(頑固)である(2)懐疑的・批判的である(3)感覚を疑い思考を信じる、といった特徴があるように思います。
2. 関連して、実業家(商人)について 述べれば、彼らは、上記の側面から見れば、中立的・自立的であると感じます。
(お金が中立なものであるからかもしれません)
つまり、上記のように、権威に気に入られるか否か、或いは、大勢に気に入られるか否か、で自身の立場を捉えるのではなく、依存しているか否か、で自身の立場を捉えるように思います。
基本的には、依存(強いものに守ってもらおうとする)を嫌い、自立(自分の身は自分で守る)を良しとしているように感じます。
また、自他の利害関係を対等にすることや、そのために交渉することを目的とするため※、依存と自立の中間を良しとするかもしれません。
※ここでは、与える割合を多くする場合は、将来の顧客からの信用を得るための投資であると考えています。
ここ迄読んでいただきありがとうございます。今日も良い一日をお過ごしください。