分析と持論を書いていく処

分析・仮説・持論を滔々と述べています|異論は認めます│こんな世界の見方もあるのだなという気付きを得て、楽しんでいただいたり、問題解決に役立てていただければと存じます

知識人とは、神経症的傾向が低い人ではないだろうか。

1. 詰まるところ、知識人とは、情報処理能力が高い人であるように思います。

そして、情報処理能力が高いということは、神経症的傾向が低い(繊細でない)ということであり、神経症的傾向が低いということは、自身の欲求や感情を抑制してそれらの影響を受けずにクリアな頭の中で論理的に推論を行えるということではないでしょうか。

努力とは、この神経症的傾向を低くすることであるようにも思います。

2. しかし、一方で、そのような特性を持つと、感情や欲求を発散するための人(不倫・浮気)や物(アルコール・煙草など)への依存が必要になる傾向があるように思います。

3. また、早急に因果関係を持たせることは危険であるとも思うのですが、これらの特性は、モラハラ・セクハラや毒親といった現象を引き起こしかねないと予想します。

a. モラハラが起こると予想する理由は、思考的であると、欲求や感情を気遣ってほしい人(共感を求める人)の気持ちがわからなかったり、彼らを無視したり、彼らを制御・支配しようとしたり、彼らに気持ち悪い・理解できないといった感覚を抱く傾向があるように思うためです。

ちょうど、自身の内で、欲求と感情に対して思考が行っていることを、自身の外でも、再現しているのかもしれません。(そのような理論を現在気に入っているためそういう考えをしています)

b. セクハラが起こると予想する理由は、抑圧している欲求を発散したいのに、する場がないとき、その法的・倫理的な方法を探し出す前に、この欲求を発散することを許してほしいという甘えが他人に向き、その人に対して起こるのがセクハラだと思うためです。

もしそうであるとするならば、セクハラを行う人は、そこまで思考が強い、或いは、慎重な人ではないと言えるようにも思います。

というのも、そのような人であるならば、法的(余裕があれば、倫理的)な方法で欲求を発散する、というリスクヘッジを行うと予想するためです。

c. 毒親になると予想する理由は、思考的であると、思考的ではない(感情や欲求を制御する前頭前野が発達していない)子どもの感情や欲求を汲み取れなかったり、これを否定したり制御したりしようとする可能性が高いと思うためです。

神経症的傾向が低くなると、感情や欲求を感じなくなるため、激務(上からの無茶な要求)にも耐えられるようになったり、睡眠欲・性欲・食欲等の欲を仕事中は感じなくできるようになったり、怒り・喜び・悲しみ・嫉妬・憎しみといった感情も仕事中に感じなくできるようになったりするように思います。

ですが、そのような欲や感情を向けてくる他者に対して、予め用意しておいた細かな言動によって、共感している振りをして、彼らのそれらによる要求をある程度満たすことは可能かと思います。

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4. 個人的に、思考的な人には、例えば、私の知っている大学教授と医者を例に考えますと、ヘビースモーカーだったり、お酒が大好きだったり、激務で家にほぼ帰らなかったり、大食いだったり、不倫や浮気をしていたり、といったことが多いように思います。(勿論、そうでない人も沢山いらっしゃいます)

a. そして、それらを受け入れることや、これを許すことや、許してもらうことで、より仕事に誇りを持ち、これらを必死に頑張る傾向にあると思います。罪悪感から、仕事でそれらを上回るパフォーマンスを上げようとするのかもしれません。

b. また、それらを周囲に公開することで、間接的に自身の仕事が大変であること、自身の市場における需要が高いことをアピールして、自身の虚栄心を満たそうとする人も居るように思います。(承認欲求が十分に満たされ虚栄心を持たない人が多い上層には少ない)

5. 倫理的な人・人格者とみなされる人ほど、他者ではなく物で発散する傾向があるようにも思います。

その結果、彼らは晩年、肺炎やアルコール中毒に、また、思考的な人は全般的に、過労やアルツハイマーになる傾向があると予測しています。

以上の話は、エビデンスがないので、あくまでも仮説です。そのため、情報処理能力の高さと依存症の発症率の相関を示す論文などがあれば、是非読んでみたいと思います。

ここ迄読んでいただきありがとうございます。今日も良い一日をお過ごしください。