分析と持論を書いていく処

分析・仮説・持論を滔々と述べています|異論は認めます│こんな世界の見方もあるのだなという気付きを得て、楽しんでいただいたり、問題解決に役立てていただければと存じます

何かの獲得を目指すかたへ

1. 何かを手に入れようとするとき、自分の信念・熱さが必要になってくるように私は思います。

客観的視点・論理的思考力・効率化・知識の豊富さ・実現可能性の高いマイルストーンを敷くことのできる能力・損得勘定などを、二の次にできるほどに信じられることです。

それを信じることで自分が自分であるという感覚になれることです。

冷静に考えたり、論理的に考えたり、リスクへッジを考えたり、批判的に考えたりすると、盲信・熱狂・狂気であるように思えることです。

2. というのも、次のように思うためです。

最上を目指すならば、一点に集中し、駆け上がるのがよい。邪魔者が手を打つ前に、自分が興味を失う前に、誘惑になびく前に、ぶっち切るのがよい。狡いことや小賢しいことを考えるとブレるので、自分の中の王道で行くとよい。ブレるのが一番よくない。

つまり、目的を達成するまでに、周囲の妨害や好奇心の喪失や誘惑によってブレないためには、何かを疑いようなく信じていたほうがよいと思うためです。

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3. これに対して、 達成するための能力については、とことん客観的に洗い出し、これを磨いていくのがよいように思います。

自分の自尊心を満たすような主観的に思う強み※ではなく、どんなに受け入れがたくとも、多くの人の中で圧倒的に自分が突出している強みを見つけ出し、これに関心を持ち、お金と時間を投資していくという意味です。

※一方で、幸せを感じるためには、この主観的に思う絶対的な強みこそ、必要であるように思います。

このような強みは、母数の大きなテストを受けたり、経験の数が多くなってくるとわかってくる、と私は思っています。

4. 但し、信念とは、自分との約束・自分に課した課題・自分を縛る法であり、他人のそれではないこと、そして、盲信であるため、自分がそれに正誤・善悪の判断を付すと、他人のそれと必ず齟齬が出ること、を忘れてしまうと、こ獲得するまでに、意図せずして他人に多くの要求を強いることになる、とこれまでの知見からは思っています。

そして、その要求をのんだ他人に対しても感謝を感じることはなく、獲得した物に対する満足感も続かず、これを大切に扱うこともない、とも思っています。



お読みいただきありがとうございます。今日も良い夜をお過ごしください。