分析と持論を書いていく処

分析・仮説・持論を滔々と述べています|異論は認めます│こんな世界の見方もあるのだなという気付きを得て、楽しんでいただいたり、問題解決に役立てていただければと存じます

普通“にみえる”人/優秀“にみえる”人

個人的な話にはなりますが、所謂、普通にみえる人や優秀にみえる人、つまり、何か外的な基準に自分の思考・感情・欲求を合わせる人、自分の特性を理解しない人が、他者に対して最も残酷で危険で害悪であることをなし得るという思い込みがあります。

そして、さらに言えば、自分がそうである事に気がついていない人が、よりその可能性が高いという思い込みがあります。

故に、そのような性格特性を持つ人に対しては、従犯罪の確率も高いのではないか、と疑いの目を向ける所から入ることが多いです。

例えば、高学歴エリート、真面目風な大企業勤めのサラリーマン、大人しく聞き分けの良い主婦、いつも明るく万能な同期といった面々がこれに当たります。

もっとわかりやすく言えば、優秀なふりをしているようにみえる人、普通なふりをしているようにみえる人、優しいふりをしているようにみえる人、元気なふりをしているようにみえる人、お金を持っているふりをしているようにみえる人、善良なふりをしているようにみえる人、追い詰められているふりをしているようにみえる人、自分が正しいと信じているようにみえる人、博識でロジックが完璧な人、経歴が華々しい人といった、ステレオタイプを演出しているようにみえる人です。

この思い込みについて、根拠としてスタンフォード監獄実験を持ち出すのは使い古された手法のように思うので、別の説明の仕方をすれば次のようになるかもしれません。

つまり、「名より実を優先しすぎるのも自己中心的ではありますが、実より名を優先し過ぎると、自分の利己的な、或いは、ネガティブな部分を受け入れられなくなり、怒りが蓄積するのではないでしょうか。

そして、その蓄積した怒りは自分が自分より弱いとみなした他者に向けられるのではないでしょうか。」

という説明です。

(一応そのような論文・データ等もありますが、チェリーピッキングになるのを避けて持ち出しておりません)

また、遺伝的な影響もあるとは思いますが、そのような性格特性を形作る思考や習慣が生じる原因は、リスクをおかす恐れ、怠惰、絶望、自己認識能力の低さ等ではないか、と予想します。

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一方で、他者の欲と感情を満たすことを、自己犠牲だと憤慨することなく、自己献身、社会貢献だと確信し、自身を厳しく律することに情熱を燃やす“普通の”人や“優秀な”人も居ることを知っています。信念がはっきりとしている印象でした。

しかし、そのような人は普通である、というよりも、かなり特異な(よく言えばかなり優秀な)人であり、特に日本社会においては多く見受けられるタイプではないように思います。

自身の一経験である上にnが少ないので断定はしませんがそのように思います。