分析と持論を書いていく処

分析・仮説・持論を滔々と述べています|異論は認めます│こんな世界の見方もあるのだなという気付きを得て、楽しんでいただいたり、問題解決に役立てていただければと存じます

天才に憧れる危険性

天才には狂気があるように思います。
個人的な“天才”の定義としては、「自分の命をある能力にだけ賭ける人」というものなので、その点で正気ではない、というように思っています。

恐らく、彼らを見て、自分は有能だと言い聞かせてきた努力家は、自分が、中途半端な凡人だと思い知るのではないかと予想します。

彼らにとって、それを受け入れられれば良いし、凡人には凡人の苦しみとメリットがあり、天才には天才の苦しみとメリットがある、と線引きができれば良いと思います。

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ところで、“努力家”とは、大抵、「理想の自分と現在の自分をぎりぎりまで同一化して、現在の自分を叱咤・否定し頑張っている」という特徴を持つと考えています。そうであるとすると、その自己否定が度を超えた先に陥るのは、過度な他責(天才が存在するのが悪い。排斥しなければ)や自責(俺にはなんの価値も能力もない。自分が存在するのは悪い)ではないかと予想します。

だから、彼らは、天才なんて見ないほうが良いように思います。彼らにとって、天才とは、天災ではないでしょうか。躊躇せず、凡人として挑んでいけばいいだけの話で、この時代に彼らに出会えたことを感謝すればいいだけなのではないでしょうか。天才に生きているうちに出会えるなんてとんでもない幸福であると。

天才の狂気を凡人が真似したら死に至るとも感じます。現在、天才は偶然生き延びているだけだとも思います。